昨今の日本映画は「原作ものブーム」といわれている。小説や漫画などをもとにした映画が非常に多いということだ。例えば2019年の邦画を振り返ってみても、ヒットした作品からリストアップすると「マスカレード・ホテル」(東野圭吾の小説)「翔んで埼玉」(魔夜峰央の漫画)「アルキメデスの大戦」(三田紀房の漫画)「七つの会議」(池井戸潤の小説)と原作ものが非常に多い。そういったトレンドに対して原作側と映画化側でそれぞれどんなことを考えているのか、というのを、あくまでも一つの例に過ぎないが、それぞれの造る人の言葉を見つけたのでピックアップしてみたい。
原作側の言葉では、たとえば、「きいろいゾウ」(2013)、「円卓 こっこ、ひと夏のイマジン」(2014)など小説が複数映画化された小説家 西加奈子さんはこんなことをテレビのトーク番組で語っている。(書籍化されたものから引用する。)
西:(自分の原作の映画の撮影現場に行くのは)嫌やん!その人たちの世界やん!そこへ「原作者ですぅ~☆」って行って「こちらへどうぞ~」とか優遇されたくない。ほんまに、原作者クソやって思って自由にやってほしい。(「ご本、出しときますね」ポプラ社 P19)
西:絶対に自分で脚本書きたいって人おるやん。もうこんな原作ありきブームやめたてやと思うねん。自分の好きなん撮らしたってって思う。(同書 P19)
なんと謙虚なというか、映画を造る人に対してもっと自由度の高い環境で制作してほしい、というとても素敵な言葉である。おそらくジャンルは異なるが小説も映画も同じ創作の世界であり、自由度は高いほうがよいものが作れるし、携わる人も楽しいだろう、という考え方なのだろう。
一方の映画化側はどうか。
現在公開中の「決算!忠臣蔵」を監督し、またこれまでも「アヒルと鴨のコインロッカー」(2006)「ゴールデンスランバー」(2010)など伊坂幸太郎原作を映画化するなど数多くの映画を監督している中村義洋監督の言葉を見つけたので紹介したい。
※念のために述べておくが、ここで紹介する言葉はあくまでもそれぞれ別の資料から持ってきた言葉であり、二人が対談をしているわけではないのでご了承いただきたい。
ー原作モノを手掛ける際に意識していることは?
「気に入らない原作は受けない。それだけです。だから受けてからは、何も気をつけない」
ー引き受ける段階では、熟考する?
「熟考とまでいかないですけど。『これはイケる』というものだけ、引き受けてるんで」
ー「イケる」というのは、画が見えるということでしょうか。
「画は関係ないです。映像的なことは、あとでどうとでもなるので。大事なのは、そこに自分がすべてを注げるテーマがあるか。作者が訴えていることに共感できるかどうかです」
(「映画監督への道」誠文堂新光社 P148)
中村監督の言葉を読みといていくと、自分と原作者の考えがシンクロできるのかどうか、ということがポイントということなのだろう。「テーマ」という言葉を監督は使っており、原作のストーリーがどうというよりも、テーマとして自分もそれを映画というフォーマットで描きたい、と原作者と「意気投合」できれば、別に原作ものだろうとオリジナルだろうと映画を造ることに違いはなく情熱を持てる、ということなのだろう。なんとすがすがしい言葉だろうか。言ってみればあるテーマのもとに創作をするということにおいて2つのジャンルで共闘する関係がそこで生まれるのだ。うらやましい。