制作映画

森達也監督とドキュメンタリーの「正攻法」

森達也インタビュー 

オウム真理教のドキュメンタリー「A」(1998)や楽曲ゴーストライター問題でメディアをにぎわせた佐村河内守氏を取り上げた「FAKE」(2016)など話題のドキュメンタリーを撮る森達也監督の対談を「映画の言葉を聞く」からピックアップします。

 

森監督が「A」を撮ったときのエピソード。「A」はオウムの信者たちの生活を撮ったドキュメンタリーなのだが、なぜこのドキュメンタリーを撮ることができたのか、という話。当時森監督はテレビのドキュメンタリーの仕事をしていて、オウムに興味はそれほどなかったのだが、メディア側はオウムでないと取り上げないというくらいにオウムに偏重していたので、いわば仕方なしにオウムについてのドキュメンタリーを撮ることにした、というその経緯についてだ。

 

森 まずは荒木浩さんというオウムの広報副部長に「あなた方のドキュメンタリーを撮りたい」と手紙を書きました。95年の8月か9月でサリン事件からまだ半年経ってない頃でした。荒木さんのところにはいろんなメディアから取材依頼の電話やFAXが来ていたはずで、そうした状況もあって無理かなと思っていたら、意外とあっさりOKが出たんです。(中略)

 当時はテレビも新聞も雑誌もオウムに大量の記者やカメラマンを投入していたけれど、基本的には盗み撮り、あるいは何か起きると一極集中的に囲み取材をやったりするばかりで、オウム信者の生活を撮るという発想はほぼなかったと思います。僕はいつもの手法としてまずは手紙を書いて依頼したのだけど、後に荒木さんから「メディアの人に手紙をもらったことはこれまでないし、そもそもドキュメンタリーを撮りたいと言われたのも初めてです」と言われました。

 だから「なぜあなただけがオウム施設で自由に撮影できたのか?」という質問をされることがよくあるけど、その理由は「僕だけが撮影をオファーしたから」ということになります。そう答えると、「ではなぜ他のメディアは撮影をオファーしなかったのか?」と続けて質問されるけど、それは他のメディアに聞いてくださいと言うしかない。(P43)

 

「オウム真理教の内部に入ったドキュメンタリー」と聞けば誰しも「どうやって中に入ったんだ?」と疑問に思うだろう。しかしその答えは意外にも簡単だった。あっけないくらいの正攻法である。

被写体に対して正面からお願いをしてみる。しかも手紙という形で。

基本や正攻法というのは大事なんだな、ということがよくわかる事例である。それでだめなら別の方法を考えればいいのだ。こうした映画製作に限らず、ビジネスにおいても同じである。ともすれば忘れそうになる基本を忘れてはいけないんだなということを筆者自身も再確認した文章でした。

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