インタビュー映画

トリュフォーのインタビュー

トリュフォー監督インタビュー

「フランソワ・トリュフォー 映画読本」(平凡社 2003 山田宏一)から。
トリュフォーはヌーヴェルヴァーグ(1950年代のフランスの映画運動)の監督として有名で、とはいえ個人的には興味はありつつもヌーヴェルヴァーグというとゴダールのほうを思い浮かべてしまいます。
冒頭に挙げた本にはトリュフォーのインタビューがいろいろ載っていて、今回はその中から「アデルの恋の物語」(1975)という映画についてのインタビューを紹介する。

ヌーヴェルヴァーグの監督はもともと映画雑誌に寄稿していた人たちが多いらしく、その意味では批評する人から「造る人」になった、というあまりないケースだろう。インタビュー中にトリュフォーの語る言葉は非常にわかりやすく、インタビュアーの質問ともうまく噛み合っているという印象を受ける。
ヌーヴェルヴァーグというと、どうしても私などは難しい映画(個人的には好きですが)の一派というイメージを受けてしまうが、以下に引用するトリュフォーの言葉からは、その印象はすべての監督についてそうだとはいえないということがわかる。

トリュフォー:アラン・レネの「二十四時間の情事」(1959)や「去年マリエンバードで」(1960)が現れたとき、その映画話法の斬新さが話題になり、映画は前衛芸術としてここまで進んだのだと評価されたものでした。アラン・レネの映画は、たしかに、すばらしい芸術でした。しかし、それは、真にユニークな芸術であって、映画そのものを少しも進歩させはしなかった。映画を大衆とのかかわりのなかでとらえるかぎり、前衛は大衆からの離反でしかない。少くとも、大衆は、アラン・レネの映画と歩調を合わせて進んではくれなかった。相も変わらず大衆はD・W・グリフィスの時代と同じところにとどまっていたのです。映画は、だから、他の芸術にくらべて遅れていると批判されてもいます。しかし、わたしは、それでよかったのだと思っています。わたしの映画が、たとえばディケンズの小説やアルフォンス・ドーデの小説みたいだと言われても構わない。「アデルの恋の物語」は実際、19世紀の小説に最も近い作品です。それは古めかしい物語を古めかしいスタイルで描いた映画なのです。しかし、わたしは観客がそこにいることを知っています。だから、けっしてその古めかしさをおそれない。観客がいまだにグリフィスやセシル・B・デミルの時代にとどまっているということは、映画がその起源と同じように大衆の娯楽でありつづけているという証拠でもあると思うのです。(P423)

ほかにもこのインタビュー中にこんな言葉も語っている。

 

トリュフォー:わたしはいつも観客のために、不特定多数の観客のために、映画をつくっています。観客がどう思おうが構わずに自分の好きな映画をつくればいいという考えをわたしはうけいれたくない。だからといって、観客に媚びる映画をつくるというのではなく、観客に真に気に入られる映画をつくりたいのです。もしわたしの映画を見た観客のなかに、一人でも、さっぱりわけがわからずに頭をかかえて出てくる人がいたら、わたしにとってこんな不幸なことはない。誰にでもわかる単純明快な映画をわたしはつくりたいのです。難解な映画をつくることはある意味では卑怯だとすらわたしは思っています。わたしたちは観客に裁かれることを拒否してはならないのです。(P419)

 

ヌーヴェルヴァーグの監督の一人として、ある種のわかりにくさをよしとする考え方は共通項として程度の差はあれ彼も持っているのではと個人的には思っていたのだが、ここまで明快に難解さに対して拒否の姿勢を示しているのは意外だった。それにしても「誰にでもわかる単純明快な映画をわたしはつくりたいのです。」という言葉には、強い決意を感じる。ここまでシンプルな言葉で態度を表明するのは非常に勇気が要ると思うのだが、それだけ深く映画について考え抜いたということなのだろう。このひとことはなかなか言えない言葉である。「造る人」の突き詰めたところから出た言葉だなと感じた。

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